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代表プロフィール

東京生まれ
日大藝術学部卒業
3児の父

実家の商店をはじめ、現在は企業や行政、教育機関などへ、ITとデザインを融合した仕組みづくりで、顧客のクリエイティブソリューションを行う。自身のブランドはライセンサー及びメーカーとして、百貨店ポップアップやライセンスビジネスとしてプロデュース。
絵本作家としても活動しており、出版やワークショップを各地で行う。

◆ 文化庁・文化芸術による子供の育成事業協力芸術家
◆ NPO法人オレンジハートリボン大使、統括プロデューサー
◆ 【著書】第10回フジテレビKIDS be絵本大賞 大賞作品
  『かいとう あっというま』(扶桑社)

デザイナー 塚本ユージ

『人に感謝し、創造力でたくさんの人を笑顔にする』
そんな家族や人々に囲まれて育った幼少期

私は、東京の下町で製造小売り店を営む商店で生まれ、商店街の人々やお客さんに可愛がられて育ちました。お店では常にお客さんと祖母や母のやり取りを横目に、ひとり絵を描いていた思い出があります。
工場では祖父と父の手伝いをし、商店街のイベントも大人たちに交じって参加する生粋の商人の子でもありました。
一人の時間も多かったので絵や工作をしたり空想にふけることもよくありました。
その甲斐もあってか、小学校では毎年展覧会に選出されたり、イベント時には先生や友人からアイデアを求められ、それを形にすることで喜ばれる経験を多くしてきました。 この原体験が今につながっているのかもしれません。
自分の描いた絵で家族や友人に褒められるのが嬉しかったという原体験が、この仕事を選んだ大きな要因だったのかもしれない。

イメージやアイデアを表現する楽しさ
人に喜んでもらえる嬉しさ

中学に入ると音楽に目覚めます。
尾崎豊、サザンオールスターズ、そしてX JAPAN。
尾崎で社会を見る目が変わり、サザンで音楽の楽しさを知り、Xでロックに出会います。
中学2年生からは原宿に行くようになり、今では思い出すのも恥ずかしいくらいの服やアクセサリー身につけていました。作詞作曲もこの頃始めます。
父からエレキギターをプレゼントされると、一心不乱に友人と練習しては、近所の人によく怒鳴り込まれていたのを覚えています。
高校ではバンドを組んだり、夜中ひとり駅で弾き語りをして練習兼、お小遣い稼ぎ。相手はほとんど酔っぱらいのサラリーマンで、歌うというより、話に付き合っていたらお金を置いていってくれることの方が多かったです。
幼少期、たくさんの働く大人たちに囲まれて育った環境が、大人たちとのコミュニケーションに抵抗を感じなかったのかもしれません。

ミュージシャンを目指す
音楽で伝えたい、たくさんの人を喜ばせたい

大学は、日大藝術学部デザイン学科のコミュニケーションデザインコースというところに入ります。しかし、私は当時、音楽学科、文芸学科、写真学科、美術学科等別学科の授業にばかりひとり潜り込んでは受講していました。
それに加えバイトとバンドがメインのライフスタイル。
都内のライブハウスを回りながらのバンド活動は、将来の起業に非常に役立ったのです。

自己主張の強いメンバーや他バンドとのぶつかり合いや調整、ファンを増やすためのマーケティング、自分たちの音楽のブランディングなど。実はバンド活動は会社経営とすごく似ているとこがあり、よくも悪くも今の私の会社の考え方のひとつになっています。
そのためか、信念も目的もなくただただ作るといった行動がいまだにできないのです。

大学卒業後、フリーターをしながら夢を追いかける私は様々な問題に挟まれ、時には潰されそうになりながら生きていました。
その時、必ず助けてくれたのは創造的な発想と行動、そして人でした。

結婚→就職、そして起業
創造的な思考と行動がすべてを解決してくれた

当時、26歳フリーターの私は結婚を決め、それから就活。結婚式前に運良く会社に入ることができました。ここらへん順序がおかしいですね。

最初に入れていただいた会社はIT会社で、ポータルサイトの運営をしていました。
面接時、デザイン未経験でITも知らない私が面接官たちと不穏な空気になっていた際、たまたま覗いてきた部長が、私の持参した絵を見て即決してくれたのはラッキーとしか言いようがありません。この会社でITとデザインの両方を学びます。

ITとデザインの可能性と面白さに気づいた私は次にネットショップと実店舗を運営する会社へ転職します。ここで得たノウハウを実家にもいかしたいと思ったからです。

そして最後はヘッドハンティングでグッズ会社へ転職。WEB責任者兼デザイナーとして、複数のWEBサイトの立ち上げと運営をしつつ、営業マンたちに同行しデザイナーとしてその場で提案やラフスケッチをするなど、目まぐるしい日々を経験させていただきました。

この3社にお世話になった3年間、人と向き合い様々な悩みや夢を聞きました。かつての私がそうであったように。
そこで解決の一助になるのは必ず創造的な思考であり表現でした。

私の発想やアイデアで、悩んでいた相手の目がキラリと輝いたり、作り出したもので問題が解決し感謝されたり。
29歳になった私は、当時2歳になる息子とたくさんの時間を過ごしたいという想いと、私の力を必要としてくれる人が増えてきたこともあり、その人達の手伝いを全力でするためフリーランスの道を選びます。

僕にできる恩返し
そして未来に向けてできること…

幼少期、たくましくお店を切り盛りする家族や商店街のおじさん、おばさんたちからたくさんのことを学びました。
起業した当初は人脈はもちろん、ノウハウもビジネスの知識もほぼ皆無でしたが、幼少期から今までの経験値が、スキルだけでは測れない別のものがお客様とのつながりを作ってくれていたことは事実でした。それは、お客さんと真摯に向き合い、とことん付き合い、感謝を忘れない姿勢だと思っています。

現在は多くの経験がから得た成功や失敗のノウハウを、お客様をはじめ実家のお店へもいかすことができています。WEBサイト、販促ツール、デザイン、マーケティング、CRM…。
結果的に様々ものを作ってきましたが、すべては課題解決や目的達成のための手段。
よく「塚本さんはいろんなことやってるね」と、言われますが、私個人の目的ややりたいことは10年前、もしかしたら子どもの頃から変わっていないかもしれません。

これからは、たくさんもらってきた分、それ以上のお返しをしていきたい。
今後さらに先行き不透明な社会になっていくかもしれません、でもその中で誰もが自分らしい人生を歩めて、大切なものを大切にできる社会を願い想像し、今私ができることを真剣にやっていきたいと思っています。

この世界に、たくさんの笑顔を創造するために。